網走のまちのなかに永専寺という寺がある。 この寺の開祖が「免囚保護の父」と言われた寺永法専である。法専は明治元年石川県に生まれ、19歳の時に来道。布教活動を志し、網走にやってきたのは明治26年のことだった。翌27年、一人の出獄者が法専を訪れ、獄中生活の状況を話した。
これがきっかけで免囚保護にかかわるようになる。法専は毎月数回網走分監を訪れ、囚徒たちに教えを説いた。そして、しだいに出獄者を収容するようになっていった。
監獄を出ても頼るあてのない者、帰るための旅費の算段のつかない者、老いて衰弱した者など、どうにも身の振りかたのつかない者ばかりを引き取り、食事を与え、仕事を世話し、からだの衰弱した者には医療手当をし、栄養に気をくばるのだった。
明治40年には免囚保護団体「網走慈恵院」を創立した。しかし、出獄者の収容は苦労の連続だった。中には逃走する者や再び犯罪を犯す者も少なくなかった。まちも人びとから「泥棒の下宿屋」「慈恵院ではなく危険院だ」などと非難を浴びながらも、法専は彼らをいたわり続けた。
慈恵院創立以来、昭和3年までの保護人員は、のべ1,307人にのぼった。昭和12年、法専は65年の生涯を閉じた。