それは、今から120年ほど昔の物語です。世の中が、江戸から明治と大きく切り替わり、町を行く人たちの「ちょんまげ」が「ざんぎり頭」に変わり、腰に刀をぶら下げた人たちも少なくなって ほんの二十年くらい後の日本の北のはじっこの寂しい漁村が舞台です。 冬になると海まで凍ってしまうその村では、なかなか開拓も進まず、十年ほど前にやっと、村で越冬する人たちが増えてきた、そんな場所でした。
それから一ヵ月後、村に奇妙な赤い着物に身を包み、手足を鉄の鎖で繋がれた屈強な男達が50人現れます。男達は監視する役人の指示のもと、川に面した森の大きな木を次々と切り倒すと、それを材料に自分達が寝泊りする小屋を建てはじめました。次の月には、また50人の鎖で繋がれた男達が現れ黙々と仕事を手伝い始めます。その次の月にもまた鎖で繋がれた男達が現れ・・・ 村の人たちが気がついたとき、そこには千人以上の囚人が生活ができる大きな刑務所ができあがっていました。
架けられた看板に書かれた名前は「釧路監獄署 網走囚徒外役所」、1,200人の囚人を監視する職員達もみんな家族を連れて村にやってきました。村の人口はいっぺんに何倍にも増え、そうすると物を売る商人達も次々と村に店を構えるようになり・・・村は、このあたりでは一番にぎわう場所になっていました。 ここから、網走の街と、網走刑務所の長く不思議な物語の幕が開きます。
時に協力しながら開拓の鍬をふるい、時にはあまりにも刑務所の名前が有名になりすぎたことから町から出て行ってもらおうと排斥運動があったこともあります。 忘れていけないのは、他の街と網走をつないで延びる道路や鉄道の線路も、現在多くの人たちが降り立つ空港も、オホーツクの海の幸を満載して帰ってくる漁船が横付けする港も、秋になると豊かに実る広大な農地も、みんな、みんな最初に作ったのは網走の囚人達だったとのことです。作業の過酷さに多くの囚人達がこの網走を終焉の地としながら・・・
そうして「街」と「刑務所」は、歴史の表裏で不思議な物語をつづり続けているのです。