監獄秘話

第5話 ここは地の果て

1,200人の囚徒たちがこの地にやってきたのはいまから120年前のことでした。網走刑務所の最初の名前は「釧路監獄署 網走囚徒外役所」。

明治23年、中央道路の開削工事を行うために釧路集治監から網走に囚徒を大移動させることになりました。その収容施設としてつくられた「外役所」は、その実、囚徒1,500人を収容できる一大監獄でした。「網走囚徒外役所」はその後、「網走囚徒宿泊所」という名称に変わったが、明治24年7月、「釧路集治監網走分監」と変わり、そのわずか二ヶ月後の八月「北海道集治監網走分監」と改名され、これによって一つの独立した集治監として発足した。

発足時の囚人の数は1,392人。その三割以上が無期懲役で、そのほかもすべて刑期12年以上の重罪人であった。その背景には、当時の暗い世相があった。

明治維新後の変動期を経て新政府に対する不満が渦巻き、社会には不穏な空気が充満していた。犯罪者が急増し、さらに、西南の役などをはじめとする内乱が相次ぎ、国事犯、政治犯が続出した。これらの囚徒を収容するために、広大な北海道に大規模な集治監の建設がすすめられたのである。

網走監獄」の名前が生まれたのは、明治36年のことだった。「網走監獄」は、人びとにとっては日本中の凶悪な犯罪者の吹きだまりとしてまた犯罪者にとっては最も厳重な地の果ての牢獄として恐れられてきた。